2015年11月25日水曜日

スターウォーズでお母ちゃんハツスル

 普段は下らないジョークを飛ばしあっている私たちでございますが、先日、同居人が仕事中に電話をかけてきたわけですよ。

  クソ忙しいときにこんな感じで。

「タイヘンタイヘン!」
「何がヘンタイ?」
「『スターウォーズ フォースの覚醒』どうする?」
「え、そりゃーもちろん観に行くよ。一緒に行くでしょ?」
「うん、そーだね。じゃあちょっと待って」(ガチャ切り) 

 話の流れがつかめぬまま、5 分ほどして再び電話が鳴りました。 

「フー間に合った。母さんが前売り鑑賞券買うから一緒にどうかって言っててさ。」  

 母さん何を血迷ったのか、約30席分予約したそうで、私たちの分まで確保しようとしていたようです。
  映画鑑賞のためにわざわざ渡航しろと?と一瞬思ったのですが、久しぶりに顔見せに来いとうことを暗に示したかったのではと想像してみると、ちょっとだけ罪悪感が込み上げてきましたな。

2015年8月27日木曜日

パスタ話をしたら自慢屋だってさ

 いままで食べたパスタで一番美味しかったのが東京にあるレストランのトマトパスタだったとネットの掲示板に書いたら、この自慢野郎という返信がついてヘコんでいた同居人。

 発言内容のどこか悪かったのかと聞いてきたのでこう即答しましたよ。

 「どこも悪くないよ」

 海外の掲示板サービスでのできごとでしたので、そこのメンバーからしてみれば遠い日本の話をされてもねえ、という感覚だったのかもしれません。

 しかし、たとえば日本でも誰かがナポリの石釜ピザの味が一生忘れられないと言ったところで、へえ、そうなんだという程度の反応を示す人が多いのではないでしょうか。

 それでも納得いかない様子の同居人。
 意外と繊細なんだよな~~と思いながら、もっとわかりやすい説明をつけてみました。

 「生まれてこのかた海外に行ったことないヤツがいるとするじゃん」
 「ウン」
 「そいつの食生活が朝はマック、昼はタコベル、そんで夜はドミノピザ、みたいなジャンクフードのローテーションだったりするわけさ」
 「わかった。それで?」
 「そういう食生活があたりまえのところに、誰かが海外のウマくてオシャレな食べ物の話をしたとしても、当然面食らうわな。異国の地の料理話を、あたかも日常のようにされて、妬んだんだろうよ。自分が知らないことだから」

 ようやく同居人に笑顔が戻りました。 

 「なるほど、なるほど。そうか、そういうわけだったのか!」 

 いや、自信などこれっぽっちもござーせん。
 そもそもまるっきり私の勝手な想像なんですから^_^。


2015年7月29日水曜日

イジメはなくならない

 イジメを苦にした自殺のニュースが出るたびに心が痛みます。
 人を死においやるほどの陰湿なイジメ行為がこの世からなくなれば、もっと人間は豊かに生きられるだろうにと強く思います。

 私が学生の頃にもイジメは存在していました。
 そしてイジメがもとで不登校になってしまう生徒もいました。

 最近のイジメが陰湿になったとは言われますが、もっともっと前の時代にも質の悪いイジメは存在していました。
 イジメる側が悪いことにまちがいはありません。
 しかし、イジメる側の人間を厳しく処分したところで、今度は別のグループが似たようなことを始めるだけの話です。

 動物は本能的に闘争心を持っています。
 同じ檻に入れられたら競争と力関係が生じ、支配する側とされる側のしくみができあがっていきます。

 主従関係を築くための高度な知能を持たない個体なら、殺し合いや共食いなどの方法で自分が生き延びようとします。 
 人間も動物ですから、例外ではありません。

 主従関係の従属側に置かれた立場の人間は、支配側の人間に服従するように仕向けられます。
 自分の立場を見つけるためには避けて通れない道ですし、ほとんど誰もが他より良いポジションに立ちたいと思うでしょう。

 生存欲求がそうなっているため、社会を知らない子供たちが本能のままに行動すれば、当然イジメという形で主従関係(支配関係)が現れます。
 しかしながら、年齢にかかわらず、実際のところ様々な形でこのような力関係は存在していることは言うまでもありません。 

 イジメはなくなりません。
 しかし、救済に回る能力のある大人が逃げ回り、責任のなすりあいをしている現状は改善が必要です。


2015年6月4日木曜日

オジ~~!できることなら単独で見たいぜーー

 今年の11月にオジー・オズボーンが幕張メッセに来ます。楽しみです。

 昨年11月には 2015年の Ozzfest 開催自体は決定していましたが、場所や日程が最近公開となり、先行予約が始まっています。




 11月21日(土)と11月22日(日)の二日間の大型ライブで、オジーのほかにもコーン、エヴァネッセンス、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインなんかが並んでましたが、コーンはともかく(趣味じゃないけど)一日目のエヴァネッセンスってハードロックでもメタルでもないしな……ファンの方には申しわけないですが。

 オジーファンは、できることならオジーだけ見たいって人ばっかりだと想像するんですよな。
 オジーは過去に2回見に行ってますが(二回目はギター担当ザック・ワイルド目当て)、多分これがオジーの雄姿を拝める最後の機会になりそうな気もするし……。

 今回はザック・ワイルド率いるブラック・レーベル・ソサイアティもオジーと一緒に来るのでダブルで見られるのは嬉しいのですが。
 しかしなぁ……フジロックのときもマジで思いましたね。

 お祭り気分で全部見たい人向けのチケットと、見たいバンドだけ金払って見たい人向けのチケット用意してくれって。

2015年4月27日月曜日

教祖になれなかった男

 オウム真理教サリン地下鉄事件を知らない世代の人口が増えつつあります。

 1995年に発生した事件ですし、それ以降に生まれた方が続々と成人を迎えていきますので、それも致し方のないことです。
 こう書いてしまうと時の流れを感じるばかりですね。

 しかし、無差別テロはまたいつ起こるかわかりませんので、このような無差別テロ事件があったという事実を風化させてはなりません。
 とまあお堅い書き出しになりましたが、今回はその当時の友人 T の話をブチ込みます。

 T はかつての同僚でしたが、転職してからもよく遊んでいました。
 そんな中でサリン事件が起こったわけですよ。  かつて私の知り合いからも信者が出たくらいですから、危険な思想をもったカルト教は結構身近なところにあるものだと思いました。

 「全財産差し出して厳しい修行に耐えるなんてありえないね。」

 ガムシロップですっかり甘ったるくなったアイスコーヒーをストローでかき回しながら、達観したような表情を浮かべる T。

 「出家するなら財産放棄するのが仏教思想だから、それは仕方ないでしょう。」

 なんて正論かましたところで、オウム幹部が私腹を肥やしに肥やしまくっていたのは周知の事実でございます。
 すると T が爆弾発言を投下しました。

 「俺なら、もっとみんなが幸せになる新興宗教の教祖になるね。」

 今思えば、なぜか私の周りには教祖になりたいという願望を持つ奴は数人いましたね。
 そんなアホな、と思いながらもどんな構想なのかを聞いてみたわけですよ。

 「名前は T教(自己愛感丸出し……)。で、そもそもお布施の金額が決まってないのが悪い。だから一律 500円。」
 「で、教義は?」
 「なにもしないことだよ。ドリンク 1 杯ふるまって騒ぐだけ。修行ナシ。」

 完全に曖昧です。

 「お布施で集めた金はどうなるの?」
 「それは俺のポケットマネー。宗教団体は課税されないし。でも 500円でみんなハッピーね。」

 いやいやいやいや、それが私腹を肥やすってことでしょーよ。
 それ以前になにがハッピーなのかわからん。

 目のまえで聞いている私でさえ、そのカラクリはミエミエです。

 「俺は信者にイヤな思いをさせたり、苦痛を強いたりする宗教って間違ってると思うけどな。」

 こればかりは個人の受け止め方の違いなので何とも言えません。
 ただ、ひとことだけ言っておきました。

 「そんなんじゃ人は集まらないだろうね。」

 その後、T教が広まったとか、ニュースになったとかいう話は一度も聞かれません。
 そしてとうの本人もとっくに忘れているであろうことは自身を持って申し上げられます。

 しかしですよ、たまーに話題になるこの手の信仰宗教とか、詐欺行為とかフタを開けてみるとしょーもないカラクリだったりするんですよね。
 しかも、大勢の人集めに成功しているというこのミステリー。 

 それがカリスマというやつなのでしょうけれど。


2015年3月25日水曜日

フーゾク取材の黒歴史

 恐らく、当時私と行動を共にした人は「あいつだ!」と心の中で叫ぶかもしれませんが、その叫びはどうぞご自身の心にそっとしまっておいてください。

  私のフーゾクとの出会いはハナタレもいいとこの 10歳の頃でした。
 小学校高学年の社会研究の時間のことです。

 普通なら、地元の歴史を調べたり、工場や会社などを見学させてもらったりするのが子供らしい社会研究の行動じゃあないですか。

 「これからはフーゾクでしょ、フーゾク。」 

 と同じ班のハナタレ男が、風俗産業で決定とばかりに私たちに吹聴してまわりました。
 エロいマセガキで有名な彼のことです。

 鼻の下をビローーーンと伸ばしながら、きったない字でノートに質問事項をまとめはじめました。 

「おまえらさ~、フーゾクってなにか知ってる?」 

 ポカーンとアホ面をかます私たちを前に、彼が続けます。 

「きれーなお姉さんが出てきてさ~」

 それでピーンときましたね。  

「エッチな本みたいなことをするんでしょ?」

 なぜか眠たいはずの授業中、私たちの班が異様な盛り上がりを見せはじめました。
  もう全員ノリノリ状態です。
 電車に乗って取材しに行こうということになりました。 

 そして電車に揺られて行ったのが新宿、歌舞伎町ですよ。
 今考えてみれば、ハナタレのガキとはいえ、昼間でも小学生のグル―プがフラフラするような場所ではありません。 

 昼間はギラギラした雰囲気ではないのですが、スーツを着た夜の商売人たちがフラフラしていましたね。
  取材写真として、電気の通ってないネオンサインやお姉ちゃんたちの看板をインスタントカメラで撮りまくったわけですよ。

 「やっぱり話も聞かないとね」 

 などと言いながらも、コワイお兄さんたちに話かける勇気はありません。
 地元でも子供が行方不明になった話を聞かされていたせいもあるでしょう。
 ひとしきり写真を撮ったあと、エロいリーダー持参の地図に書かれたマルを頼りに区役所まで行きましたよ。

 フーゾクについて教えてくださいと言ったところ、担当のオッサンに爆笑されましたが、風俗産業の問題点をいろいろ説明してくれて、社会的にはなくしていくべき産業だが、それを必要としている人もいるんだよねーとミョーに意味深な言葉で終わりました。
 エロい情報をたくさん仕入れるはずが、結果的に大真面目な社会研究テーマとなりました。

 週が明けて模造紙にマジックで情報を書き込みながら、なんか一仕事やりとげたような達成感をメンバー全員が味わいましたね。

 ネットがなかった時代でしたので、規制がユルかっただけかもしれませんが、よく担任がこのテーマを許したなと今でも思うわけですよ。


2015年3月2日月曜日

皮肉にも当たった予言

 予言って誰にでもできます。
 それが当たるかどうかはまた別の話というだけで。

 もちろんその多くはハズれてくれます。
 やってみたい方は、ノートの切れ端とか、ネットのどこかに投稿してみたりしてもよいかもしれません。 

 タイトルに戻りますが、当たったのは私の予言ではありません。
 十年くらい前にネットでちょっとだけ話したことがある日本人のヲッサンでした。
 当時は時事問題をあつかった文章をたまに書いていたのですが、そこに意見を書き込んでくれていたのが彼でした。

 私のプロフィールを見て年下と判断したのか、いきなりタメ口でしたけどね。
 でも、こちらは上下関係を意識した態度を取らなければアウトなんだろうと思い、敬語づかいで丁寧に応対していました。

 正月は初詣、盆暮れ彼岸に墓参り、クリスマスにはサンタがやってきて、結婚式はチャペル、葬式に坊さんが来るという、日本人の宗教観の節操のなさ(よい意味で)について書いたときのことです。
 すかさず、ヲッサンが元気にやってきました。 

「今世紀は宗教問題が表面化するよ。とくにイスラム教の台頭がすごくなって、日本も絶対に無視できなくなる。大規模な紛争も勃発するね。」

 「日本のキリスト教徒の割合が 1% たらずなくらいですから、国内でイスラム教徒が激増する可能性は低いでしょう。」

 「違うよ。親日派が多い中東で日本を敵視する勢力が出てくるんだよ。多分ね。」

 いまとなっては、最後の「多分ね」がシャレにならない当たり具合でございます。
 当時の Web サービスは終了して跡形もなく消え去ってしまいましたが、あのヲッサンとまた話す機会に恵まれたら、その続きを是非聞かせてほしいものです。


2015年2月13日金曜日

ブーブー

 ちょっとした不満というのは誰にでもあるものです。
 実生活ではあまり不平不満を垂れないようにしているのですが、ちょっと言いたくなったときのために、こんな提案をしてみました。

「言いたいことを言ったら、最後にブーつけようよ。その方がイヤミな感じがしないし」

 いいよ、という返事だったので、ブーブー使ってみました。

「それはイヤだブー」

「何それつまんないブー」

「忙しいからそんなことに構ってられないブー」

 といった具合です。
 さすがに真顔でブーブー連発すると、ちょっとカチンとくると言われたので、ご機嫌をとることにしました。

「コマンタレブゥー?」




2015年1月18日日曜日

医療はサービス


 体調がが悪かったらすぐ病院へ。
 悪くなくても定期的に健康診断を。

 これらは日本人なら当たり前の感覚ですね。
 では、すべての医療費が全額負担だったらどうでしょう。

 簡単な手術を受けたら200万円請求された。
 歯の根っこの治療を受けたら100万円取られた。

 これが全額負担の世界であり、本来は個人個人が受けた治療に対して負担すべき金額となります。
 しかし、それでは家計を圧迫してしまい、生活そのものが立ち行かなくなる人が続出します。
 その代わりに各人で払える分だけの金額を健康保険料として徴収することによって、そのなかから医療費をまかなうシステムが今の健康保険制度のありかたですね。

 では、健康保険料を払ったほとんどの人が何らかの疾患をかかえて病院通いや入院をするようになったらいかがでしょう。
 徴収した保険料ではとても払いきれなくなってしまい、健康保険システムは破たんします。
 日本が高齢化社会に突入したこともあって、その傾向が高くなりつつあります。
 賃金を得ていない人たちから医療内容に見合った分の保険料を徴収できない一方で、彼らの方が若年層に比べると格段に多くの医療サービスを必要としているからです。

 ですから、本来の医療費のバカ高さを意識せずに、一割負担、三割負担の請求額を見て、安く済んだと思ってはならないのです。

 現役として働くのは体力的に厳しい高齢者もたくさんいることは事実ですし、いくら体力がある人でも、周りがみな引退していれば、老後の楽しみまで放棄しろというのかと憤慨する人も出てくることでしょう。
 しかしながら、冷静に考えて、生涯現役のシナリオがますます現実味を増していますので、いずれは高齢者自身の考え方の転換も求められていくことでしょう。
 その流れの中で、健康保険料の企業への負担増、個人の保険料引き上げは免れないでしょう。

 いずれは救急治療室でこのような会話が交わされる日も遠くないかもしれません。

「失礼ですが、治療費、ベッド代もろもろの費用を払えますか?」

 もちろん、払えなければその場しのぎの処置をして終わりです。
 治療なんてとんでもないと断られます。
 そんなとき、きっと私たちはこう言うでしょう。

「医者は人の命を救うのが仕事だろう!瀕死の人間を見殺しにする気か!」

 彼らだってできることなら救ってやりたい気持ちはやまやまです。
 しかし、その医療費は誰が負担するというのでしょう。
 高度な医療をボランティアでやれという、患者のとんでもない要求に応える医者がどれだけいるのでしょう。

 実際、そんなことが起こっている国は思いのほか多いのが現状です。
 私の知っているかぎりでもアメリカ合衆国、インドネシア、シンガポールなどがあります。
 それぞれの国で独自に自己負担額を減らす試みは行われていますが、万が一払えないということになると、とてもドライな対応が待っていることは共通しています。

 ボランティア精神あふれる人が国に多額の寄付をすることによって医療費をまかなってくれたり、医師自身が自腹を切ってまで医療に従事するようになれば別の話ですが、それは過度な期待というものでしょう。

 医療は義務ではなく、サービスなのですから。

 なーんて話をこんな曲を聴きながら書いております^^。